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今後、折に触れ、収集家の方々のお役に立つテーマを順次取り上げていきます。



2022年10月8日 Topics 3

コインとメダルのよもやま話 第一話


NHK歴史探偵シリーズで9月21日放映のーヴェルサイユとマリーアントワネットーを見られた方も多くいらっしゃると思います。

コインメダル愛好家の方々には歴史好きが多いです。今回NHKでアントアネットを取り上げた理由はベルばらの原作者:池田理代子の連載開始から50周年、その原作による宝塚歌劇の演目が50年近くになっていて今でもロングランを続けていることが関係しているのでしょう。

内容は今までの一般的に語られてきたアントワネットと違い、彼女の豊な人間性と最後までフランス王妃としての振る舞いに焦点が当てられていました。

さてこれからが本題です。
女王がコインの肖像に使われることはあります。(例えばイギリスでは3女王、エリザベス1世、ヴィクトリア、今回亡くなられたエリザベス2世)それと対照的に王妃は君主ではありませんので、コインの肖像になることはありません。ただ、メダルにはよく登場します。どのような場面でメダルが制作されたか2-3の例を見てみましょう。

1)1770年5月16日、フランス国王ルイ16世とマリーアントワネットによる結婚式が絢爛豪華に執り行われました。メダルの裏側に新郎新婦が誓い握手をしている場面です。表は当時のルイ16世が描かれています。この結婚記念メダルは銀製で38㎜、重さは22,6gです。

アントワネット結婚式メダル


2)無年号で主にブロンズで比較的多くみられるメダルは表がルイ16世、裏がマリーアントワネットで当時流行の髪型の先端を走っていたことがよくわかります。パリの造幣局で再鋳貨(リストライク)されたものが多いようです。(ブロンズ70㎜、重さ173,4g、銀製41㎜、重さ32,4g)

アントワネットメダル

3)国王追悼記念にもメダルが制作されました。表には国王・王妃、裏はルイ16世が処刑に行く際、家族との最後の別れを描いたものです。1793年(ブロンズ 46㎜,56,5g)

ルイ16世処刑メダル

以上、マリーアントワネットには歴史にまつわる数々のメダルが制作されましたが大変人気があるため近年特に値段も上り、数も少なくなっている感じです。

JCCでも過去に結婚記念金メダルの出品がありました。母国オーストリアで作られました。

アントワネット結婚式メダル


同国は1997年の1000シリング金貨を製造、マリーアントアネットを面に、裁判所で自己弁護をするシーンを描いています。

アントワネット結婚式メダル

同じくオーストリア出身の皇妃エリザベート(やはり宝塚歌劇で有名ですね!)も1000シリングの金貨で登場してます。

アントワネット結婚式メダル

<完>

2020年8月20日 Topics 2

セントジョージの竜退治図案の起源である、ST.GEORGS TALERについて


セントジョージメダル

今回は皆様に人気のST.GEORGSTALERについて少し詳しく解説します。

上記はドイツ語で聖ゲオルク(英語ではセント ジョージ)のターラーになります。ただしターラーと書かれていますが実際はメダルです。少なくとも皆さんがよく見かけるハンガリーのターラーサイズの金銀貨はメダルです。(コインとメダルの違いに関しては、一度このJCC TOPICSでじっくりと解説するつもりです。)

ST.GEORGはギリシャ語のゲオルギオスから派生した人名で、キリスト教の人助け聖人の一人として有名です。
11、12世紀の竜退治の伝説から人々の信仰を集め始めます。
この伝統的な構図はドイツだけでなく、英国、スエーデン、ロシア、イタリアのジェノヴァやヴァチカン等でも、コイン、メダル、紋章に広く使われました。

セントジョージメダル


英国クラウン銀貨やソブリン金貨でおなじみの馬上の騎士が竜を踏みつけている構図は16世紀初期、ドイツのマンスフェルト(現在はザクセンアンハルト州に属し、ここで マルテイン・ルッターが幼年期を過ごしたことで知られている)で、およそこの構図でターラーとして16世紀初頭に作られたものが、戦時でお守りとして使われ始めました。

セントジョージメダル


戦いが多かった当時、このターラーを身に着けていると矢や槍に刺されず、落馬もしないと言われ、急速に広まり、場合によって30倍の値が付いたこともあったことが記録されています。

1606年-1615年に発行されたダヴィット・フォン・マンスフェルトのターラーも人気で、その直後に勃発した30年戦争(キリスト教の新・旧教の争い)また中欧までトルコ軍が攻め入った際にもキリスト教徒の兵士の護身用に多く使われたようです。

セントジョージメダル


その約300年後、1915年当時のドイツ帝国の名主、プロイセン(プロシア)が1815年にマンスフェルトを併合した記念に3マルク銀貨を製造。
1914年に第一次世界戦争が勃発、ドイツも戦費調達のため、その後は一部の例外を除き金銀貨は作られなくなり、このマンスフェルト3マルク銀貨も大量に溶解されました。ドイツでは人気のターラーです。ちなみにドイツでは3マルクのことをターラーと言います。1871年の大規模な政治通貨改革の名残で、1ターラーは3マルクになったのです。

セントジョージメダル


さて、これから本題です。

このターラーをお守りメダルとして大量に作ったのがクレムニッツミント(現在はスロヴァキア、当時は神聖ローマ帝国、ミントマークはKB)で金や銀、その他の金属で制作しました。ただマンスフェルトのターラーと違うのは裏面でー荒れ狂う海上で汎船の上のキリストを2人の使徒―が描かれていることです。

この構図がこのメダルの大きな特徴で17世紀初頭から作られ始め、ダカット金貨(1/2から100ダカットメダルもある)や銀でターラー,半ターラーの重量で作られたものがあります。大変人気なメダルで20世紀になってもクレムニッツ以外でも作られ、図柄も少しずつ変化していきます。戦いに赴く際、王や貴族、士官などは金や銀、兵士たちは銅メダルであったと推測されます。

このメダルを収集し始めると大変特徴的なことに遭遇します。
元来、お守りとして(ほとんどが首から吊り下げられていた関係で)使用されたので12時方面に鎖につり下げられた跡があります。もちろん、うまく隠されている場合や修正されたものも多々あります。
ただ、このマウント痕や修正痕は、上記の通り、本来の目的(お守りとして使用されていた)がわかっているので、コレクターとしてはこれを良しとすべきでしょう。
逆に、この跡のないものは希少です。大型金貨などは作らせ持って行った人もいるでしょうし、銀貨であればポケットに入れておいた人もいるでしょう。

セントジョージメダル


裏面の有名な場面(キリストと2人の使徒)にラテン語でIN TEMPESTATE SECU(V)RITASと書かれてます。
嵐の中の安全―という意味です。戦場の嵐の中でも安全にいられる、と解釈されたのでしょう。

メダルもその背景などを知ると大変興味深いものです。ある意味ではコイン以上に自由に作られ、その時代の反映したものが多いのが特徴的です。

ある時代やそこで活躍した歴史上の人物などのコイン、メダルを集めることは、あたかもタイムマシーンに乗って何世紀もさかのぼり、時代の息吹を感じることさえできるのです。
日本史の中ではやっと明治以降、それが一部ですがかなうことになります。
江戸時代まで肖像などを使ったメダルは(キリシタンのメダル、メダリオンなどを除けば)ありませんでした。それはヨーロッパとの文化の違いと言えそうです。

<完>

2017年10月23日 Topics 1

主にドイツ(スイスも含む)の17-18世紀における都市景観ターラーについて


今回はJCCの強みのひとつでもある都市景観ターラーについて少々詳しくご紹介いたします。同業他社にない、都市景観ターラーを随時、しかも豊富に提供しており、その中でもドイツ本国でもめったに出てこない希少なターラーも数多く含まれております。どうかこの機会に、希少価値の上がっていく良い状態の都市景観ターラーをコレクションの選択肢の一つに加えていただければ幸いです。

都市の景観(またはその一部)を使ったコインはアンチークコイン(ギリシャ、ローマ又はビザンチンのコインを指す言葉)にも見受けられ、中世のコインにも、数は少ないが散見されるほど、その歴史は古い。ただ金貨・銀貨で都市景観がその美しさをフルに見せつけることが出来たのは17-18世紀のドイツや一部のスイスの都市(バーゼルとチュリッヒ)であろう。この時代に都市景観をモチーフにした銀貨は約160種あるといわれている。当時から都市景観ターラーは人気で、収集の対象であったようだ。但し、どこの都市でも作られたかというと、その数は20市を下回る。

その特徴は当時の大きな国、例えばプロイセンのベルリンやバイエルンのミュンヘン市ではなく、中規模で商売で大きな富が蓄積して力を付けた、比較的自由な商都、例えばフランクフルト、レーゲンスブルク、ニュルンベルク又、アウグスブルク等であった。又世俗権力から一線を画していた宗教都市、ミュンスターやケルンでも作られた。都市景観ターラーが作りえたのは世俗権力は比較的に弱かったところ(市)で作られた、と言える事が出来よう。

上記のように裕福な都市は貨幣の製造権を取得しており、肖像面では時の権力者の肖像などを描いたが、他の面ではそれぞれのご自慢の美しい都市景観を描いた。当時の主要な交通運搬手段であった海や川が都市の前面に描かれて、そこには活発に活動する市民も描かれていることも多い。又、川の流れを示す矢印などが描かれているものもあり、また教会,市庁舎,搭や石の橋など今も現存している建築物もそこに見る事が出来、興味は尽きない。

1)集めやすい都市景観ターラーは?

圧倒的に集めやすいのがニュルンベルクレーゲンスブルクでしょう。ただし近年になってとくに状態のいいものが少なくなりつつ、値段も上がってきた。
ニュルンベルクの1765年から1780年に作られたターラーはもっともポピュラーと言える(KM350、D2494)1765年にはハプスブルクの双頭の鷲が王冠をいただく、意匠が異なるものもあります。(KM351、D2495)又、1680年から1698年にわたり作られたターラーもよく出てくるが、17世紀のコインは当然EF以上のコインは少ない。
レーゲンスブルクのターラーは最も美しく良くできた都市景観銀貨とされている。
最も入手しやすいターラーは1754年、1756年、1762年、1766年、1775年、1780年などそれぞれ微妙に違っており、カタログ番号も独立してついている。1746年以前のターラーは、よい状態のものは少ない、また1791年から発行されるレオポルド2世の肖像を持つ都市景観も上記の1754-1780年のターラーより数は少ない。

フランクフルトは1772年に一種類の美しい都市景観ターラーを発行している。(KM251、D2226)このターラーには少なくとも2つのヴァリエーションがあって面白い。もっとポピュラーな2ターラー(37グラムを超す大型銀貨)は1840年から1844年まで連続に発行されていてその重厚感により人気が高い(D-640)。 またアウグスブルクの様に17世紀には多数の都市景観ターラーが発行され、比較的収集が容易ですが18世紀になるとその数は激減して高価なものが多い、という都市もあります。 

2)なかなか出てこない都市は?

貨幣製造は、作る都市の経済規模に合致したものなので人口の少ない都市や商都でない所は製造枚数も限られ現存数は少なく、価格も高い。これからコインの将来性は大変高いといえる。例えばその代表的な都市は宗教都市のケルン、南ドイツのフライブルクやラーヴェンスブルク。この内ケルンのターラーは1705年に作られ、空に鷲が舞う年号入りと雲だけのものがあり、後者の方がより希少。JCCで一度戦後に作られた素晴らしい銀メダルの複製が出品された。今出品されているケルン都市景観銀貨はオリジナルでこれ以上の状態がない、と思われるほど素晴らしい。
また、ラーヴェンスブルクも小都市で500枚以下の製造、JCCで1年前にラーヴェンスブルグ都市景観ターラーが出品されすぐに販売されました。フライブルクの都市景観ターラーも大変珍しく見逃せません。 手にすることが大変難しい都市はウルム、エアフルトやエスリンゲンなどがあり、オークションなどに出品された場合は少々高くても、その機会を逃すわけには行きません。

3)種類を多く集めましょう!

先ほどのニュルンベルクやレーゲスブルクのターラーは比較的手に入りやすいものがある反面、珍しいヴァリエーションも多数あります。例えばレーゲンスブルクを俯瞰で表した1792年のターラー(KM466,D2632)、また俯瞰でないヴァージョンも2年号(1791年、1793年)あって、その比較は大変楽しいものです。

JCCはドイツの古銭マーケットに深いつながりがあり、お客様の要望によって、珍しい都市景観ターラーを入手できることが出来ます。時間はかかるかもしれませんがご相談をいただければ、幸いです。
また、今回から始まるJCC-Topicsでは皆様の収集のご参考になるテーマを随時取り上げて行くつもりです。なるべく皆様のご要望に沿って行きたいと思いますので、ご興味のあるテーマをお伝えください。

※現在、JCCに出品されている都市景観コイン(メダル含む)はこちら
<完>