サイズ: 直径 約40mm 重量 約-gm
発行枚数: -枚
カタログNo: Bramsen-199
PCGS鑑定ページ
ギルト(銅に金メッキ)で美しい1枚です。
アミアン講和条約は、1802年3月25日にフランス北部の都市アミアンにてグレートブリテン及びアイルランド連合王国とフランス第一共和政との間で締結された講和条約である。
表面は皇帝になる前の首席執政官ナポレオン・ボナパルトの肖像。
裏面はケーリュケイオン(カドゥケウス)と天秤を持った女神(Astree)が地球の上に舞い降りている図案が描かれています。
LE RETOUR D ASTREEと書かれていることから、「アストリーの帰還メダル」と呼ばれることもあるメダルです。
Droz, Jean-Pierre作。
このメダルは歴史的な遺産として、ルーブル美術館にも収蔵されています。
ルーブル美術館コレクション
(ルクセンブルク美術館から1931年にルーブル美術館に収蔵)
※スラブ表面にヒビ有り。
【ナポレオン・ボナパルト】

ナポレオン・ボナパルト(フランス語: Napoléon Bonaparte、出生名: ナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ、Napoleone di Buonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日)またはナポレオンはフランス革命期の軍人・皇帝・革命家。即位してナポレオン1世(フランス語: Napoléon Ier、在位:1804年 - 1814年、1815年)に成りフランス第一帝政の皇帝を務める。
【アミアン講和条約】
イギリスは1793年に第一次対仏大同盟を結成してフランスへ宣戦して以来、フランスとの間で戦争状態にあった。だがオーストリアが1801年にリュネヴィルの和約を締結して第二次対仏大同盟から脱落すると、イギリスのみが戦争を続けることになった。同年、イギリスでは対フランス強硬派のウィリアム・ピットが国内の宗教問題などから退陣し、対フランス融和派のヘンリー・アディントンが内閣を組織した。フランスでも、第一統領の地位にあったナポレオンは対外戦争より国内の安定を重視し、講和は望むものであった。こうして、1802年3月にフランス代表タレーランとイギリス代表のチャールズ・コーンウォリスによって講和条約が締結された。
講和条約において、イギリスは、マルタ島、ケープ植民地、エジプトといった占領地から軍を撤収することを約した。これによって、マルタ島はヨハネ騎士団へ、ケープ植民地はオランダ(バタヴィア共和国)へ返還されることになった。フランスは、ナポリ王国、ローマ教皇領から軍を撤収することを約した。
以降、ヨーロッパでは1年余りにわたって平和な期間が続いた。しかしアミアンの和約における取り決めはほとんど遵守されなかった。英仏両国は経済的にも相争う関係であり、特にフランスによるヨーロッパ市場からのイギリス製品の締め出しはイギリスにとって許容できないものであった。1803年5月、イギリスがオランダでフランスの船舶を拿捕したことを契機に両国の関係は再び悪化し、5月16日、イギリスは和約を破棄し再度フランスへ宣戦した。